剱岳赤谷尾根 壮年青春年越し物語

日 程 2022年12月26日(月)-2023年01月04日(水)
ルート 剱岳 赤谷尾根 (赤谷尾根〜北方稜線を経て剱岳山頂〜早月尾根下降)
メンバー 鈴木、増子、高橋 文:高橋敬太郎

9日目にしてようやく登頂!このときの感動は忘れられない。

「俺、体調悪いからレナンね」
「んじゃ俺は眼鏡かけてるからコンラッド」
「え〜体型的に俺がコンラッドじゃないの?」
「いや、ジミー・チンで」
「え〜、おれがジミー・チンなの〜。かっこいいけどさぁ〜」
「そうです。んじゃ、ジミー・チン、なんか言ってください」
「・・・・・いや、ジミー・チンのセリフ覚えてねーし」

3人の中で ”最もモチベーションが上がる山岳映画” メルー。あっちも3人、こっちも3人。今回の山行中、こんな感じでメルーごっこをしながら笑い合い、「メルーの3人に比べれば俺たちぜんぜん大丈夫。まだまだ頑張れる!」そう言って自分たちを鼓舞していた。

2022年12月26日、伊折を出発して赤谷尾根から剱岳を目指した僕ら3人は、いずれも厳冬期の剱岳は初めてという中で赤谷尾根から北方稜線を経て山頂を目指し、紆余曲折ありながら翌2023年1月3日に登頂、4日に下山、延べ10日間という山行になった。

下見、体力・登攀のトレーニング、装備の見直しと予行練習、さまざまな準備を行なったうえで臨んだ山行だったが、想定を超えることも多々あり、10日間ずっと、もう少し言えば1ヶ月前からずっと緊張感に包まれていた気がする。山行中は毎日何らかの形で、不安と恐怖に襲われながらも結果的に笑い合って3人でやり切ることができた。

うまくいったこともあれば、準備不足・経験不足も多分あり、運に助けられたところもある。それでも、一定の厳しい状況の中で感じたのは、これまでにない達成感と、互いに気恥ずかしさを覚えるほどのチームで助け合う力だった。その興奮冷めやらぬうちに文章に残したいと考え、キーボードを叩くことにした。

(メンバー)

▼鈴木 大地 (横浜蝸牛山岳会 チーフリーダー)
 担当: 山行リーダー、メルーごっこの監督・総指揮
 特技: 単純作業(水作りの際の雪入れ)

▼増子 隆 (横浜蝸牛山岳会)
 担当: GPSナビ、エアマットのパンク修理
 特技: 「天気良い!」と言って、他の二人をテントから引っ張り出す

▼高橋 敬太郎 (横浜蝸牛山岳会)
 担当: 土木作業(テン場作り、深雪ラッセル)
 特技: 190cmの長身から繰り出すバンザイラッセル

~序章

11月某日 小雨

「んじゃあ、年末は僕も入れてもらって3人で赤谷ということで!」
「ところで鈴木さん、日程って実際のところ何日間ぐらい必要?一応正月明けは長めに休みとったけど」
「超順調に進んで7日でしょ。それに予備日が最低7日だから、2週間ぐらい?」
“・・・え???2週間????  ・・・マジか。。。”
「あぁ、おぉぅ。そうだよね」「うん。。そだね」  ・・・”やべぇじゃん。。”

そう。トポや記録を見ても、たしかにそう書いてある。読んではいた。でもどっかで ”いや〜、とは言ってもさ、実際もうちょっとスルッといけるでしょ!“ とか考えていたヤツが3名中2名。この瞬間から、リアル厳冬期剱岳赤谷尾根の準備が始まった。

12月上旬 LINEにて

“共同装備、どう分けようか?” “ロープって、これでいいかね?” “ガスいくつ持っていく?” “バーナーは予備1つでいいよね?” “なんかエアマットを敷き詰めておくっていう方法あるらしいよ” “んじゃ、電動ポンプを共同装備にしよっか” “ねぇ、食料の1日あたりの摂取カロリーっていくつにする?” “グラムあたりのカロリー高いのってなんだろね?” “世ではカロリーハーフとか売れてるけどさ、マジいらないよね”

ほとんど毎日、100なんてゆうに超える数のLINEでのやり取り。一人ひとり、持っていく全ての荷物の重量と小分けにどこに入れるかを記載した装備表を作った。アイゼン・バイル等の重量物はもちろん、細引き・絆創膏に至るまで全ての荷物の重量を測って計算した。食料は1食ごと、食品ごとにカロリー計算。14日分、食料だけで7kgちょっと。1日あたり約2,100kcal。予備日は少し少なめにして、所持する食品の総カロリー数23,520kcal。

“軽さは正義。でも長期山行において快適性も重要。そのバランスポイントはどこか!” ちょっとカッコつけて言えばこうなるし、カジュアルに言えば、”えぇ〜、どうすんだよ。なにがいいんだろ?あっちかな、こっちかなぁ。。” となる。どちらかといえば後者がリアルか。

12月中旬  晴れのち湿雪

赤沢岳で1泊の予行練習。年末に向けて考え出した水作りの方法(後述)はどうやらいけそうだ。雪や水をこぼすリスクが低く、そして早い。一方で、濡れ雪に降られて全身ビショビショ。この濡れ方はやばい。濡れ対策、もう一度考え直そう。

日本ゴアに勤務している友人にLINE。ウエア関連の防水/撥水について改めて詳しく聞き出す。その方法を2人にシェアして、ひたすら実践。 ”洗濯機の乾燥機能、使ったことなかったけどあってよかった〜” “フッ素?アクリル?シリコン?” “洗剤はなにがいいの?” “アイロン?う〜んないからコインランドリーの乾燥機かなぁ“ ああだこうだを繰り返したが、文字通りの水際対策は結果としてかなり効果を生んだ。日本ゴアの市塚夏子さん、ありがとう!

12月下旬 クリスマス前

それぞれ、妻、子供、彼女などの存在がいる3人。クリスマスから出かけて年越しも正月も不在にするスケジュールって、いろいろあるよね。 ”いや、せめてイブ出発は勘弁してくれ!“ “2万円のワイン入れた!” などなど、そちらの下準備も進む。十分な成果を得られたのかは不明。

鈴木は大学山岳部から山を始めて、この山域には何度も入っている。それでも厳冬期の剱は初めて。ジャパニーズアルパインのど真ん中を極めていく志向の彼にとって、厳冬期赤谷尾根はチャレンジでもあり通過点でもある。

増子は2017年に増本亮氏による厳冬期赤谷尾根の講演を聞いたことがあり、「冬の剱をやれば、海外でも通用する」という言葉が印象に残っていた。硫黄尾根、北鎌尾根を経て、次のチャレンジとして赤谷尾根へ。

一方の僕だが、方向性としてヨーロピアンアルパインスタイルに憧れているので、乾いた岩と雪と氷の世界で勝負したいと思っている。泥とか、藪とか、濡れるのとか、もっと言えば重荷も、正直あんまり好きじゃない。ただ、厳冬期剱はやりたかった。 ”アルパイン” という言葉をかろうじて知ったぐらいに読んだ、有持(真人)さんの冬剱の記録が強烈な印象だった。

三者三様の思いを持ちながら、温度感とか、判断基準とか、情熱的な部分とか冷静な部分とか、ちょっとずつすり合わせながら時間が経過。12月26日6:50、伊折から歩き出した。

~本編

12/26(月) -1日目-
天気:雪
行程:伊折〜馬場島〜赤谷尾根取付
行動時間:6:50~15:00

タイヤを新調した僕の愛車、赤いランクル70は、除雪車を追い越し、雪を踏み潰しながら伊折まで進んだ。昨夜から今朝にかけて、思ったよりも積雪があったようだ。伊折から先、馬場島まで圧雪されていればと思ったが、あまり期待はできなそう。

伊折にて、薄暗い中荷物をまとめて準備。

6:50伊折を出発。3人仲良く27kgちょっととなった荷物が肩に食い込む感触を味わいつつ、雪上車で踏まれた形跡はあっても膝下まで潜る。出発から5分でワカンを装着。ゾロメキ発電所付近からはワカンでも膝丈ラッセル。 “初日の林道ってこんなにしんどい想定じゃなかったよね…” 1歩ごとにワカンに絡みつく重雪を引き上げながら進むと、早速腸腰筋が悲鳴を上げた。股関節が、痛い。。。

ようやく馬場島。股関節が痛い。。。

重荷ラッセルの発汗と、濡れ雪でびしょ濡れになりながら馬場島派出所に到着し、挨拶を済ませる。この年末年始、赤谷尾根は我々横浜蝸牛のみ、小窓尾根に同日出発で1パーティ、黒部横断2パーティとのこと。

それにしても股関節が痛い。

「この痛みは初日だけっすよ!股関節痛い敗退なんて前代未聞ですよ〜」と言って笑う30代の鈴木。

「だよね〜。痛いけど〜」と40代増子は話しは合わせるが目は合わせない。そんな僕は、増子を憐れむふりをしつつ ”股関節敗退のトリガーは、どうか俺より先に増子が引きますように!” と願っていた。

ところが馬場島を出てすぐ、一段と雪が深くなる。股関節痛いのに。。

ここからは空荷ラッセルとしたが、それでも膝上から腰下ぐらい。赤谷尾根取付周辺で後発の小窓パーティ2名が追い付てきたが、もうルートが分かれる場所。5人で交代ラッセルとはいかなかった。重荷とたっぷりのラッセルで初日からなかなかの疲労感。今後の長丁場を考え、予定よりだいぶ手前だが赤谷尾根取付の河原で幕営。この日のテントでの話題は、股関筋の痛さ。まだ登ってないのにこの痛さ、明日から大丈夫かなぁ、股関節痛い敗退って恥ずかしいよな〜、などと話しつつ早めに就寝。

赤谷尾根取付の手前。この時点で、空荷ラッセルで膝ぐらいあった。

12/27(火) -2日目-
天気:晴れ
行程:赤谷尾根取付〜赤谷尾根上1,560m付近
行動時間:6:45~16:00

今回唯一、一日中(ほぼ)晴れた日となった2日目。いよいよ本格的に標高を上げていくが、懸念の股関節は、、、ちょっと痛いけど意外とちゃんと動く。平地と坂道とでは運動の原理が違うことがうまく機能してくれているのか、回復したのか、そんなこと言っている場合ではなくなったということなのか。

1日中空荷ラッセルを繰り返した。

時折顔を見せる剱本峰や北方稜線は、10分で歩いていけそうな距離にも見えるし、果てしなく遠くにそびえているようにも見える。そして景色は良いのだが、取付からひたすら繰り返す重雪での空荷ラッセルはぜんぜん思うように進まない。150歩交代と決めて3人で繰り返すものの、息が上がる一方で標高はなかなか上がらない。疲れた。この日は1,563mの小ピークを過ぎたコルで幕営。この時点で、計画書の行程から1日遅れとなったが、予備日はたくさんある。「焦らない、焦らない」それぞれに声を掛け合うが、それぞれが自分に言い聞かせているようでもある。

雲の切れ間から、時折見える本峰がやる気を掻き立てるが、目の前のラッセルは一瞬でそのやる気をへし折る。

前日、キャスティングを終えていたメルーごっこだが、何度も何度も繰り返し見てセリフを記憶している鈴木に対し、増子と僕の引き出しがまったく追いつかない。お気に入りのフレーズは「レナンは混乱した。下山すると思っていた2人が登り始めたのだ」という解説者のセリフ。解説者は眼鏡繋がりということで、鈴木がコンラッドと二役をすることになったので、鈴木パート。ところが、下山後に確認したらこれはジミー・チンのセリフだった。加えて、解説者もメガネなんてかけていなかった。ま、人間の記憶なんてそんなものだが、たったこれだけのセリフで随分盛り上がった。

12/28(水) -3日目-
天気:晴れのち風雪
行程:赤谷尾根上標高1,560m付近〜赤谷山山頂〜白萩山山頂先のコル
行動時間:7:00~13:30

この日、もし赤谷山山頂まで届かないようなペースであれば、先々の行程がかなり怪しくなってくると考えていた。午前中は雲の切れ間から北方稜線、剱本峰が見えたりして気分が良いが、かといってラッセルが楽になるものでもない。相変わらずの空荷ラッセルを繰り返し、ジリジリと標高を上げていく。標高1,900mぐらいから樹林帯を抜けて視界が開け、目の前に赤谷山の山頂が見えてくる。時間はまだ9時前。どうやらこの日のうちに赤谷山を越えることは問題なさそうだ。

太陽の光をバックに本峰が見える。テンション上がるが、標高はなかなか上がらず。

この辺り、実は個人的にはずいぶん辛かった。鈴木、増子と順番に空荷ラッセルを繰り返してきたが、身長190cmある僕の体重は80gk オーバーで2人との体重差20kg程度。どちらかが空荷ラッセルしている後ろをザックかついだ僕が歩くと、総重量で50kg以上の差となる。トップが頑張ってラッセルしてくれたあとにも関わらず、容赦無く僕の足元は沈んでいく。本音で言えば、空荷ラッセルしているよりも、セカンドでザック担いで歩いている方がはるかに辛い。本当に辛い。もしもこの状態が延々と続いたら、、、体重差敗退するのではないかと本気で心配になった。

ということでヒーヒー言っていると赤谷山の山頂手前の急登に差し掛かったあたりから天候が悪化、視界も悪くなってきた。それでもルートはわかりやすいので徐々に高度を上げ、赤谷山の山頂に到達。今回のルートは(伊折〜馬場島を除いて考えると)馬場島から赤谷山までの尾根登り、赤谷山から剱岳本峰までの北方稜線、早月尾根下降という三角形になっている。労力や日数はまったく均等ではないが、ようやくこれで三角形の一辺を終えることができた。

赤谷山の山頂へ向かう。

赤谷山山頂からの稜線は思いのほか快適で、サクサク進めるクラスト状態。お!きた!沈まない!!やった!体重差敗退の懸念が一気に吹き飛んだ!w

順調に歩みを進めて、白萩山を超え赤ハゲに向かうコルに差し掛かったのが13:30。鈴木から「増子さん、高橋さん、この先白ハゲまでの間でテント張れそうな場所ありますか?」 ドキッ!!

ヤバい、来た。。

実は、増子と僕は数ヶ月前、GWにも同じルートを歩いていた。11月に3人で初回の打ち合わせをしているとき、「2人ともGWに下見しているから、ルートとか、テント設営箇所とかばっちりっすね!お任せしますね!」と言われ ”ヤベェ。あんまり覚えてねぇ。。“ となった。僕よりは覚えていそうな増子だったが、それでも ”もっとちゃんと見ときゃよかった〜” とつぶやいていた。もちろん地形を覚えている部分もあるし、ルートだって大まかには記憶している。それでも ”下見” という概念においては、認識が甘すぎたことを痛感していた。

ここまでのような雪の状態が続くのなら、時間的に、赤ハゲの先のコルまで行けそうな気もするが、その先のコルは果たして幕営適地なのか・・・う〜ん、自信なし。

ここで焦って不確定要素の中突っ込んでも仕方ない、ということでこの場で幕営となった。

12/29(木) -4日目-
天気:風雪
行程:ほぼ停滞
行動時間:7:00~7:10

朝、目が覚めると風が強い。テントは風を避けて立てたので揺れは少ないが、すぐそこで風が巻く音がする。テントから顔を出してみても、明らかに外は風雪。さて、どうするか、という話になった。少々行程は遅れているものの、予備日は十分にある。この程度ならば厳冬期剱は進むべきなのか、それともここは停滞を選択すべきなのか。

結果、まあ一旦行ってみよう!となった。どうせ時間はある。準備をして、少しでも歩いてみて、ダメならばそこから停滞するという選択をしても良い。近いところで判断して、最悪ここに戻ってきても良い。その判断材料を体感する上でも一度行動してみよう!となったのだ。

さて、準備を進めて7:00にテントを出た。 “あれ?さっきより天気悪い気がする” 視界もさらに悪化した。まあ少しでも動いてみようと歩きだす。ガスで見えない、風は歩いていると持っていかれそうになるほどの強さ。雪もわんさか降っていることがさらに視界を悪くしている。出発から10分。

「これ、やっぱり無理じゃない?」

「だね」。停滞決定。

停滞するとなるとさっきのテン場も悪くないが、ここは雪洞を掘りたいところ。時間も十分にある。程度の良い風下側の雪壁を見つけて雪洞を掘った。それぞれどこかで雪洞を掘ったことはあるが、それは訓練でしかなく、天気の良い中で、仮に失敗しても大丈夫な雪洞を掘ったに過ぎない。でもここは違う。厳しい風雪にさらされながら掘り進めること3時間、顔の周りのいろいろなところが氷まみれになりながらも、それなりに立派な雪洞が完成した。

雪洞を掘り進める。けっこうな重労働だが、雪洞の効果はそれ以上に大きい。
雪洞の中はこんな感じ。初回にしては上出来かな。

厳冬期剱で雪洞が有効という先人の意見はたくさん聞いていたが、その効力は絶大だった。実に快適な停滞生活。が、行程が遅れている上に今日の停滞。天気図を見て、予報を聞いても決して明日も好天ということはない。もしも明日も同じような天気で、停滞が1日伸びてしまったら・・・撤退やむなし。これがこの日、雪洞の中で3人の合意事項だった。

直後。

なんだが増子の口数が増えた気がする。「ここで敗退だったとしても、良い経験できたよ〜」とか言い出している。そして僕。なんだか顔から緊張感が薄れていったような。ごまかそうとしたのか、おもむろに食料袋からビーフジャーキーを取り出して「よし、ここは大きめのやつ振る舞っちゃう!」とか言って2人に配り始める始末。

とたん鈴木から「ありがとうございます、なんだけど、なんか気持ち緩んでません??」と鋭いご指摘。

しまった!バレた!!

「えっ!?いや、そんな・・・ことないし・・・」

これぞ、しどろもどろ。

行きたい気持ちはもちろんある。それは澱みない。が、厳冬期剱の諸々の厳しさを身をもって知って、クライミングのような墜落の恐怖ではなく、隔絶感というか、この真っ白な世界に取り残されるような恐怖感もあった。天気図や予報からすると正直7割明日も停滞=明後日撤退かと思わざるを得ない状況で、どこか心に安心感が生まれたのは事実だった。 ”だって、しょうがないじゃない。天気悪良いんだもの” 十分な撤退材料だし、 ”厳冬期剱、初回は敗退だった” というのも「よく頑張った」で終わらせることができる。かといって諦めたわけでもないが、天気が好転することにわずかな期待を寄せつつ、就寝。

12/30(金) -5日目-
天気:風雪
行程:白萩山山頂先のコル〜赤ハゲ〜白ハゲ〜大窓
行動時間:7:30~16:50

雪洞の中は実に快適で、風もなければ雪も降らない。稜線に上がってから雪は、少し掘り進むとしっかりしまっていて、天井が下がってくることはあっても崩壊の可能性はなさそうで、ぐっすり眠ることができた。さて、天気はどうか。埋まってしまった雪道の入り口を掘り起こして増子から声がかかる。

「晴れてる!行けそう!」

昨夜の葛藤はありつつ、もちろんこれからも葛藤を繰り返すのだろうけど、ここで3人の腹が決まったような気がする。赤ハゲに向かうと、次の安定した幕営地は大窓ということになる。大窓まで入ってしまえば、先に進むも戻るもほとんど変わらない状況になってくるからだ。 “後戻りはない!” ということでもないが、とにかく前進する。準備を整えいざ雪洞を出ると、、吹雪いてる。。

「いや、違うんだよ。さっきは本当に晴れてたんだよ〜」

オオカミ少年増子が誕生したわけだが、結果的にオオカミ少年増子のおかげでその後も前進することができた日が何度かあった。

それでも行動できないほどではない。確かに風も強く、雪も降っている。おまけに時折ガスる状況だが、剱に入って5日目までに学んだのはこれぐらいで行動しないと、年末年始の剱では一向に歩みが進まないということだ。ここは行く。

ラッセルをしながら赤ハゲを登っているとさらに視界が悪化し、空と地上の境が曖昧。雪庇も見えるような見えないような。見えていても近いのか遠いのか判別できない。白ハゲにさしかかったあたりから、不安を感じる部分では積極的にロープを出す。白ハゲへの急な雪壁は僕がリード。本当に見えない。目の前が開けているかと思ったら迫り上がるような雪壁だったり、遠くにあるように見えた雪庇は気がついたら50cm先にあったり。不安。無駄に声を出してみる。

「見えねぇよ〜!え〜これどっちだよ〜!!これ切れ落ちてない?」

特にビレイヤーから反応はないが、要するに怖かった。GWには何てことないただの快適な雪稜歩きだったのに、それが一歩間違えば仙人谷に落ちるのではないかという不安な急登ラッセルに変わっていた。

天気が悪い中、白ハゲに向かう。

それでも流石に増子と僕は下見しているだけあって大まかな地形は覚えている。ところどころ時間がかかりながらも、GWの記憶と照合しながら結果的に自分たちの意図したルートで大窓まで到着できそうだ。最後の大窓への下りは、稜線から大窓に向かって右のルンゼを下降。懸垂2ピッチ。その後も先頭だけはロープで確保して2ピッチ。大窓に到着した。

「増子さん、高橋さんが下見してくれてたから、僕は安心していられましたよ〜」

“もっとちゃんと下見しとけば良かった” という思いだったが、一定の成果も得られた。よかった。

大窓に着いた頃には天候が安定してきた。この日は大雪はなさそうなので、コルを切り出してテントを張る場所を作った。作り終えた頃にはすっかり暗くなり、白ハゲあたりの荒天はなんだったのかと思えるぐらい、富山市内の夜景が綺麗に映し出された。その先にうっすら富山湾の海岸線も見える。大窓まで来てしまった。もう行くも戻るも同じこと。時間が掛かろうと閉じ込められようと、なんとか切り抜けるしかない。

ちょっとここでテント内の話を書き加えたい。実はこの山行のためにいろいろ創意工夫を重ねる中で、僕たちは新しい水作りメソッドを開発していた。12月上旬にそのアイデアを思いつき、剱入山2週間前の赤沢岳でテストを行い、行けると確信したメソッド、名付けてKATATSUMURIメソッド!(もう少し気の利いたネーミングがあれば良かったのだが、ご容赦願う)

ネーミングセンスは置いて、これが実に素晴らしいメソッドで、入山後も微調整を重ねた結果、5日目にして水作りの所要時間、 ”1Lあたり5分” という記録を達成した(時間を測ったことがある人は少ないと思うが、機会があれば是非測ってもらいたい。これがいかに早いかおわかりいただけるはずだ)。

僕たちは日々、8L程度の水を作り続けていたが、この日以降8Lを40分で作れるようになった。しかも雪や水をこぼすリスクも低いので、ちょっとメルーごっこをして、「明日の夕飯は?」「クスクス!」「次の日は?」「クスクス!」とでもやっているとあっという間に8Lの水が出来上がる。唯一無二の秀逸なメソッドとも思わないが、興味のある方はご連絡いただければ詳細にご説明差し上げたいと思う。

その手法はこうだ!

【水作り KATATSUMURIメソッド】

ポイント)

  • ガスバーナーは吊り下げ式を使用する(今回バーナーはジェットボイルのミニモを使用)
  • 水ができてきたら、手動のポンプで移し替える(水槽用の小型の水換えポンプを使用)
  • 水タンクはプラティパスの4Lを使用(水が入ると自立するタイプ)

役割分担)

  1. コッヘルに雪を入れる人(鈴木)
  2. コッヘルに入った雪をポンプの先っぽでツンツンして崩す人(増子)
  3. 水ができたらポンプをシュコシュコしてプラティパスに移す人(高橋)

賢明な皆さんなら想像が付くと思われるが、労力は圧倒的に1の人に偏っている。「僕、こーゆー単純作業好きなんで」と話す鈴木の言葉にどっぷり甘えて、期間中ずっとこの役割分担を貫いた。あくまで鈴木リーダーが「好きだ」と言ったからであって、増子と僕がその作業を避けたわけではない。決してない。「いや〜、申し訳ないよ」とも2回ぐらいは言った。と思う。

もう少し言えば、2と3の役割は、1人で十分に対応可能な作業である。いや、増子と僕がサボっていた!と理解しないで欲しい。 ”このメソッドは、2人パーティーでも実施可能である” ということがポイントだ。

得られる効果)

  • バーナーを吊り下げ式にすることで、不安定なテント底面に左右されず、うっかり倒す/こぼすといったリスクを低減。
  • できた水はコッヘルを外さずポンプで移し替えるので、火力は常時雪を溶かすことに向けられ、短時間で水が作り出せる。
  • さらにポンプで水を送ることで、移し替えの際に水をこぼすリスクが著しく減る。
  • 自立式のプラティパスを使うことで、手で押さえる&いちいち蓋を開けたり閉めたりする作業がなくなる。

テントに入ってから一定の時間を要する水作り、長期山行となるとトータルで膨大な時間となるためそれを効率化できたことは大きいし、ある種濡れとの戦いとなる厳冬期剱の長期山行において、雪や水をこぼすリスクが減ったことも大きく、ストレス低減につながった。

なお、1Lあたり5分というのは、ジェットボイルを最大火力にして絶えず燃やし続けた結果であり、ガスの熱量さえ増やせれば、私たちの作業効率においてあと3割〜5割程度時間を短縮できると考えている。鈴木が倍速で雪を入れれば・・・もとい、増子か僕が雪入れに回れば良いのである。そのときにはぜひ公平にじゃんけんで決めようと思う。

12/31(土) -6日目-
天気:晴れのち風雪
行程:大窓〜大窓の頭〜ローソク岩〜池平山〜小窓
行動時間:7:10~19:30

大晦日。下界は年末の賑わいだろうかなどと考えながら外を覗くと、天気良し。本日の行動予定は小窓までだが、なんだかこの天気ならもっと先まで行けるのではないかと淡い期待を持ってしまうが、まあそんなに甘くはなかった。

大窓の頭への登りは晴れて視界も明瞭だが、樹林帯とハイマツ帯に中途半端に雪が積もっていて、踏み抜き地獄。疲れるばかりで思うように進まない。

ロウソク岩の手前のあたり。この頃までは天気が良かった。

ロウソク岩はGWにならって黒部側を巻くことを試みる。鈴木リード。足の長さがちょっと足りず、シュルンドに落下。体重差のある僕のスタンディングアックスビレイで止まった。その後も雪の状態悪く巻くことを断念。変わって増子が空荷で直登。その後順番にアッセンダーで登るが、重荷を背負ってのクライミングはなかなかの強度だった。

ロウソク岩を直登する増子。

ロウソク岩からは懸垂約20m。この頃から天候が悪化し始め、視界も悪くなる。目の前にあるはずの池平山が遥か遠くに見え、八ツ峰が見えているのではないかと思ってしまった。普段なら信じられないがそれほど距離感が掴めなかった。池平山へ向かう急な雪壁は中央のルンゼは雪が深そうなのでやや右の尾根に近いルートを選択。しかしそれでも十分に雪が深く、上部は岩壁でここも悪そう。リードしている鈴木は雪かきに苦労し、最後の悪い岩壁を力一杯乗越していった。

続いてフォローの2人が登ると「時間かかって申し訳ない!」と鈴木に言われたが、ここはリードとビレイヤー×2の温度差あるある。

「いや〜、さみいね〜。鈴木さん、雪深くて大変そうだよね〜」
「あ、あったかいの飲む?」
「お!もらうもらう〜。あ〜、うぅめ〜」
「あれ!雷鳥の親子だ〜。あいつら寒くないのかね〜」
「・・・焼き鳥、食べたいね〜」
とまあ、こんな具合だった。

池平山を超えたあたりで、日没。しかしそこは安定した幕営地とは言えないし、先の行程を考えても小窓までは進んでおきたい。大晦日に残業確定。

ある意味クライマーとしては正しい大晦日とも言えるが、ヘッデン行動で小窓への下降を開始する。懸垂支点に使えるであろう樹林は、日没前にうっすら確認していたのでそれに向かう。胸ラッセル。登りだったら相当大変だろうと思いながら、踏み抜き注意で慎重に進む。懸垂点から傾斜に沿ってまっすぐ降りると、小窓に登り返すことになってしまう。なるべく稜線に近い方へと向かう。途中、急なスラブの上に雪がうっすら乗っただけの所に出てしまったが、うまい具合に懸垂支点になる木を掘り起こせた。途中に歩きも入れて懸垂は50mロープいっぱいを合計3ピッチ。その後の小窓へ向かうトラバースも深い。腰から胸ラッセルを続けて、小窓に着いたのは19:30。あぁ、紅白歌合戦が始まってしまった。。

小窓へ向かうトラバースのラッセル。紅白歌合戦が始まったころ。

風下側を切り崩してテントに入って、真っ先にお願いした。
「リーダー、ラジオで紅白歌合戦つけて!!」

密かに聞きたいと思っていたNiziUはもう終わってしまっていたが、「ジャンボリーミッキー♪ジャンボリーミッキー♪ジャンボリーミッキー♪ ズンズン♫」がやけに耳に残り、里の大晦日気分をちょっとだけ味わった。

そういえば、このラジオ、基本的に気象情報を得るために使っているが、あの隔絶された空間に10日いると、これほどのエンターテイメントはないと思えるようになってくる。普段の山行なら、うるせーぐらいに思っていたのに、テントに入ると、ちょっとウキウキしてきて、
「ねぇ、鈴木さん、早くラジオつけてよ!」となる。
「高橋さん、もうさ下界に降りたらラジオ買いに行くでしょ?」とも言われた。
「いや、さすがにそれはない」
と言い切ったが、こうして思い出していると、今度ヨドバシカメラに行ったらやっぱりラジオ見てみようかな、と思えてくる。普段、完全にスマホ依存症の私が、ラジオを買ったら、それはそれで面白い。

結局紅白歌合戦は大トリまでは聞かずに就寝。毎日なんらかの形で、しっかりとした緊張感があり、運動量もあって疲労も蓄積している。

除夜の鐘も、年越しそばも、カウントダウンもない。そんなことよりも明日以降どうするかが気になっているわけだが、間違いなく人生最高の年末年始になる確信があった。

1/1(日) -7日目-
天気:風雪
行程:小窓〜小窓の頭手前のコル
行動時間:8:30~13:30

夜中にテントが雪で潰されていくのは薄々勘付いてはいたが、僕は小窓までのラッセルの疲れがあったのと、ちょっと風邪気味になっていたこともあって、目が覚めてもまたすぐに寝てしまっていた。明確に目が覚めたのは2:30ぐらいで、増子が長い時間にわたってテントの周りの除雪をしてくれていた。昨日は残業になってしまったため、天気が悪いことはわかっていても雪洞を掘る気になれなかったことが災いした。増子はその後もほとんど寝ないで除雪をしてくれた。 ”ゴメン!他で頑張るから!” そう心に誓ってありがたく寝させてもらった。これが僕たちの年明けだった。

雪に埋まるテント。

朝になっても行動が出来るかどうか迷うぐらいの微妙な天気。ただ、翌日はさらに荒れてくる予報なので、動いておきたいところでもある。

どこか悲壮感も漂うなか「あけましておめでとうございます!」と挨拶を交わし、小窓の頭までは進もうと決定した。昨日に続いて深いラッセル。視界も悪くペースも上がらない。途中2ピッチロープを出し、小窓の頭に着いた時点で13:00を過ぎていた。残雪期なら1時間程度の行程に、6時間半。だが、これが厳冬期なんだと思うようにもなっていたので、 ”残念” というよりは、 ”やっぱりね” という感じ。

相変わらず天気は悪い。

1日の夜から2日にかけて、天気は大荒れの予報ということもあり、早めに切り上げて雪洞を掘る。連日の行動、昨日の睡眠不足、非日常の緊張の連続によってそれぞれどこか体調が悪い。僕は前日風邪っぽかったが、この日は増子と鈴木がぐったり。天気も加味して明日の午前中は行動せず、休息とした。

“一年の計は元日にあり” に照らして考えるならば、一定天候が荒れる中でも冷静な判断で駒を進めることができた。行動時間、幕営の場所、雪洞を掘るという判断、休息を取る判断、結果論だがみんなで協力して適切な行動ができた1日と言っても良いだろう。幸先の良い元日だ。悪天での行動と、その後の雪洞掘りでこの日もクタクタではあったが。

そして、この日は濡れているor凍っているシュラフを乾かす日とした。なんせ初日以降シュラフは良くて湿った状態、一部はビショ濡れかガチガチに凍った状態。厳冬期の剱は濡れとの戦いというのを、日々痛感していた。シュラフに入った瞬間の “あったかい” という感覚がない。むしろ “ヒヤっとする” 。いろいろなものを日々乾かしているが、シュラフは日中ザックの奥底にしまわれたままだし、テントで水作りをしたり、食事をしていると逆に濡らしそうでなかなか乾かすタイミングも難しい。この日はしっかりと休養をとるためにも雪洞の中で時間をかけて乾かすことにした。鈴木判断でガスを多めに持ってきたのはこの点においても大正解だった。

ところで、ここまでで僕自身に対して明確になったことが2つある。正直に言えば、僕は自分より経験値も登攀力も優る2人と同行し、この長い行程の中で2人の足を引っ張るのではないかと心配だった。序盤、体重差がラッセルに響いていた頃は、本当についていけないのではないかと思った。でも行動を繰り返す中で自分のValue を2つ発見することができたのだ。

  1. 雪洞作りを含めたテン場作りの土木作業において、僕は2人の2倍ぐらいの作業量を発揮している
  2. 腰を超えるような深いラッセル(これも土木作業)では、僕の体格と馬力が力になるみたい

いや、なるほど。このチームの中で自分の得意分野を見つけたぞ!自分に出来ないことをたくさんやってくれる2人に対して感謝をしつつ、得意なことは積極的にやる。土木作業は俺に任せろ!チームに貢献できているという実感を持てるようになって、この山行がちょっと心地の良いものになった。

それもあって気分良く掘った雪洞は前回より広く、快適そのもの。降雪量が多いこともあり雪洞の入り口はすぐに埋まってしまうが、それでも外の大荒れに比べれば安心安心。

「初夢、なんだろうね?明日、みんなで話そうぜ!」※初夢がいつかは諸説あるらしい。

2023年最初の夜、就寝。

1/2(月) -8日目-
天気:風雪のち雪
行程:小窓の頭手前のコル〜小窓の頭〜三ノ窓〜池ノ谷ガリー〜池ノ谷乗越
行動時間:13:00~16:30

予定通りゆっくりと寝て、9:00過ぎに起床。久々にゆっくり寝た。前日体調の悪そうだった2人も少し元気になったようだ。10:00頃、増子が雪洞の入り口に溜まった雪をどけて外に出ると
「天気いい!!」
よし。予定よりも早く回復してくれたらしい。では予定通りゆっくり準備して池ノ谷乗越めざそう!

ところで、みんなの初夢はなんだったのか?
「鈴木さんは?」
「なんも見てないっす」
「あら、それはそれで残念だね」
「増子さんは?
「いや、なんかの資格試験受けたら落ちて、落ちこぼれ扱いされるっていう・・・。なんでそんなのが初夢なんだろ」
「それって何を意味するんだろね?」
「んで、高橋さんは?」
「おれ、幸せだった〜。NiziUのマコちゃんと親密な関係になって、でもそれを他のメンバーにも内緒にしなきゃいけないから、マコちゃんとアイコンタクトとって気持ちを確かめ合いながら、ミイヒとかアヤカとかと積極的に会話してマコちゃんだけに会話が集中しないように気を遣う、っていう夢だった!」
「すげ〜な。この状況でそんな夢見れる、そのメンタル」

我ながらなんて緊張感がないのだろうと思ったし、そんなにNiziUが好きだったのだろうかとか、親密になっている状態の夢じゃなくて、それを前提に周りに気を遣っている夢ってなんだ?とか、疑問はたくさんあるが、まあでも楽しい初夢だったし、おっしゃっていただいた通り厳冬期剱の稜線上でこんな初夢を見る自分のメンタル?潜在意識?には自分も驚いた。いや、でも楽しい夢だったなぁ。。。モチベーションアップ⤴︎

もとい、池ノ谷乗越に向けて準備を整え雪洞を出ると、なんと、吹雪である。
「いや、だってさっきはもっと良かったんだよ〜。本当なんだよ〜。信じてくれよ〜」
オオカミ少年増子再び。

小窓の王に向かうと早速出てきた、深雪ラッセル。そう、僕の出番だ!天気悪いしラッセル深いし、でもなんだか仲間から信頼を得たような感覚に心地よさを感じながら進む。

小窓の王基部付近。

三ノ窓への下り、通称「発射台」は1ピッチだけ懸垂。雪の状態が読みきれないので、安全策で積極的にロープを出す。鈴木・高橋がロープを畳む間に増子はひと足先に三ノ窓まで進み出したが、なんだか鈴木がモゾモゾしている。どうやらロープがかなり激しく絡んだらしく、四苦八苦。10分も格闘していただろうか。ふと上を見ると、増子が小走りに戻ってくる。

「え!?どうしたの???全然来ないから、俺1人はぐれちゃったかと思ったよー!!」

よく見ると、増子は泣き出しそうな顔をしている。一方の鈴木は申し訳なさそうに必死の形相でロープの絡みを捌いているし、僕はと言うと、お気楽にプロテインバーを食べていただけ。なんとも素晴らしいチームワークである。

そんな緊張感のない話しをしているが、場面は本峰に向けて最も緊張感のある池ノ谷ガリーに差し掛かっている。世界で活躍するクライマーですら雪崩に遭ってしまうような場所だ。降雪もあるが風もあるので、雪が溜まっていないことを期待していたが、最終的には行ってみないとわからない。

ほぼ気休めになってしまうのはわかっているが、3人ロープをつないでコンテでガリーに向かう。結果として2/3程度はクラストしていて一気に駆け上がった。上部はラッセルになるものの雪崩そうな雰囲気はなく、三ノ窓から30分程度で池ノ谷乗越に上がることができた。

池ノ谷ガリーを駆け上がる。

この夜は降雪が多くない見込みなので雪洞にはせず(セラックが走っていて雪洞を掘れる場所が見つけにくかった面もある)、長次郎谷側を切り崩してテントを設営。雪崩の警戒が最も強かった池ノ谷ガリーをクリアできたこと、降雪はあるが風は強くないこと、ここまで来ると登頂と脱出がかなり近づいたこと、さらに半日休養したこともあってか、テントの中はこれまでよりも心なしか明るく、明日の健闘を誓うかのようにビーフジャーキーが多く出回った。

1/3(火) -9日目-
天気:風雪
行程:池ノ谷乗越〜剱岳山頂〜早月尾根2,600m付近のコル
行動時間:8:00~18:15

この日は本峰に登頂し、可能であれば早月小屋まで降りたいところ。そこまで行ければ、ほぼ安全地帯と言える。この緊張の毎日から解放される。ガチガチに凍っているorビショビショに濡れているテント生活に別れを告げられる。

最大の懸念は、視界不良になると世界的なクライマーでも苦戦を強いられる、山頂から早月尾根2,600m付近までの下降だ。それを頭に入れつつ、焦るつもりはないが行けるならば早月小屋までと思って出発。

「天気いい!」

オオカミ少年からいつもの声がかかる。はいはい、もう慣れた。歩き出すと案の定、雪・ガス・風なわけだが、特に突っ込むでもなく急な雪壁を登っていく。

ただ、この雪壁がちょっと曲者だった。視界が悪くなければ、もっと登りやすい箇所を探せたかもしれないが、突っ込んだルートは腰を越えるラッセル、どんどん傾斜が強くなっていき後半は190cmの僕がバンザイラッセル。最後はバンザイどころか自分の真上にある雪に穴を掘りながら進んでいるようなものだった。でも内心思っていた。 ”やった、俺の居場所だ!” www

その後は視界は良くないが、このあたりの稜線は岩も出ていてルートも比較的わかりやすいので、順調に進む。

北方稜線を進む。山頂まであとわずか。

登頂の第一歩はリーダーに。増子と僕とでそう言い合って進むが、視界不良の中ニセピークに騙され、うっかり僕が一番に登頂するところだった。てっぺんだけ少し顔を出した山頂の祠の5m手前で気がついて鈴木と交代。鈴木、高橋、増子の順番で山頂を踏む。

入山から9日目、赤谷尾根を経て剱岳山頂へ。サングラスをしていたり、まつ毛が凍っていたりして2人の目はよく見えないが、僕はちょっと涙が浮かんだ。もちろん僕もサングラスをしているので、見えていないはず。

どちらかと言えばシャイな2人だが、この時は何かやはり熱い思いが溢れてくるのがわかった。握手をして、3人で抱き合って、記念写真を撮った。背景真っ白、顔は氷だらけ、一体どこにいるのか、これは誰なのかもわからないような写真。でも最高の一枚だ。

登頂の感動をよそに相変わらず天気は悪い。そしてゆっくり感動を噛み締めている時間もなければ、まだ安心できる段階でもない。感動から今一度気を引き締め、早月尾根の下降に入った。

視界が悪い中、「とにかく慎重に行こう」と3人で再確認した。降り始めてすぐに増子が懸垂支点を見つけた。懸垂1ピッチ。しかしそこから先のルートがわからない。日本海からダイレクトに噴き上げてくる風雪を真正面から受けながら、必死にルートを探す。GPSも見ている。GWのログも見ているのだが、GWのルートがいま安全とも限らない。空なのか雪なのか、この先があるのかないのか、本当に見えない。

結果的にここが一番恐怖した。この辺りでビバークになってしまえばかなり苦しい状況に陥るだろうし、下手に動いてルートミスすると戻るのに数倍苦労する。まして、誤って谷に転落したら最悪の結末を迎えるかもしれない。

早月尾根の下降。本当に苦労した。

冷静にルートファインディングをする増子も、内心はかなり恐怖していたらしい。

僕はNiziUのマコちゃんと親密になる夢を見て浮かれていたことをちょっと後悔していた。

その点、鈴木は流石だった。「だって、2人がちゃんと下見してくれて、ルーファイしてくれているから、大船に乗った気持ちでついて行ってましたよ〜」

その2人は、文字通り ”必死” である。

それでも参謀増子が極寒の中GPSも見ながらルートを探してくれて、そのルートをソルジャー鈴木・高橋が押し進む。度々立ち止まってルートを探る。明確な判断材料はほとんどない。その間にもどんどん時間が過ぎていき、日暮れが近づいてくることで焦る気持ちも生まれてくる。

獅子頭の下、岩稜を池ノ谷側から巻くと胸までのラッセル。セラックに片足落ちてしまう。ここで落ちたら・・という恐怖が襲ってくる。

2,614の小ピーク、夏道は池ノ谷側を巻くが、今は頭よりも深く潜ってしまいそうな状況。登り返しが良いとも思えないがここは直登を選択。日も落ち、このあたりからヘッデン行動。天候も悪く視界が効かない中、地形図では20m程度の高低差が200mもある絶壁に見える。増子リードで丁寧に雪庇を落とし、深い雪と格闘しながら登っていく。実際200mの壁を登るぐらいの時間がかかった。

早月小屋までと思っていたが、この状況であと400m降るのはどう考えても現実的ではない。2,614ピークで小屋まで行くことを諦め、幕営地を探ることにした。このピークを降ればコルがありそうだが、急な雪壁、不安定な雪、セラックに落ちる可能性もある。かといって引き返すにも危険を伴う。リードを僕に交代してコルへ降りることにした。ビレイしてもらっていたので一定の安心感を持って降れたが、上でスタンディングビレイしている鈴木は「おれ、高橋さん落ちたら止められる自信ないんだけど・・・」とぼやいていたらしい。

もとい、深いラッセルを慎重に進み、無事コルに着くことができた。

10日間でどこが一番怖かったかと聞かれたら、3人とも迷わず早月尾根上部の下降と口にする。ここが難しいとは事前に認識していたが、ここまでとは思っていなかった。天候の影響もあって、本気で怖かった。GWに歩いた経験からは想像がつかないほど、3人それぞれが精一杯を出し切ってなんとか下降できたと思える。

コルでは風を避け、雪庇の下を掘り、半雪洞を作った。風向きや斜度、設営時間を考えてのことだったが大正解。換気も良好、崩壊リスクも低く、結果論だが最後にして最高のテン場となった。

快適な半雪洞。結果、これが最後のテント場となった。

翌日は早月小屋を経て馬場島に降り、その後も長い林道を歩いて伊折まで。早月小屋までは安心できないが、ここまでの工程に比べれば不安は小さい。心身共にどっぷりと疲労を感じつつ、わずかな安堵感を持ってテントに潜り込んだ。

テントの中では相変わらずのメルーごっこ。でもそのメルーごっこも、この山行では今日が最後のはず。

「火を囲んだクライマーの楽しみは〜」

「魚肉ソーセージの皮を焦がして食べること〜」

僕が贅沢品として持ち込んだ魚肉ソーセージがちょーど3本残っていた。明日下山する前提でみんなで仲良く1本ずつ。多めに持ち込んだガスはどう考えても余力があるので、焼いて食べる。メルーの3人はチーズだったが、僕らは魚肉ソーセージだ。

胃の調子を崩していた鈴木はちょっとダウン気味で崩れるように寝ていたが、魚肉ソーセージを焼いていたら起き上がってきてしっかりメルーごっこには参加した。

僕は2日前ぐらいからエアーマットの空気が抜け出して、前日は完全にパンク。職人増子にエア漏れチェックをお願いしたが見つからず。それでも2人に挟まれる真ん中を譲ってもらい、ザック、ウエア、グローブ、いろいろなものを2人が貸してくれて、意外にも快眠できた。増子の足だと思って温もりを分け合おうとすり寄っていたのが、実は僕のテルモスボトルだったのは小さな誤算だった。

1/4(水) 10日目
天気:雪一時晴れ
行程:早月尾根2,600m付近のコル〜早月小屋〜馬場島〜伊折(〜風呂〜寿司)
行動時間:8:15~18:10

半雪洞はうまく機能した。風にも当たらず、雪も下に落ちるか、あらかじめ掘った溝に落ちて快適。体調が悪そうだった鈴木もゆっくり寝れたこともあって回復していた。

出発時点で27kgあったザックは見るからに小さくなり、当然その分軽くもなっていた。それでも長時間背負っていると疲労が蓄積した身体にはちょっとつらい。油断しないこと、安全を徹底すること、下山したら ”風呂→寿司” というコースであることを確認し合って出発。

最終日も序盤は油断できない状況。

前日より天候が良いとは言え、やはり視界は悪い。ルートが明瞭ということもないし、雪面も見えにくい。気が抜けない下降が続いたが、これまでに培ったチームワークの勝利。2時間程度で早月小屋が見えて一安心。と、その直後に僕が雪庇ごと落下。幅3m長さ10mほどの大きな崩落だったが、下の雪面は斜度が緩かったので怪我もない。油断していたつもりはなかったが改めて気を引き締める。

小屋を過ぎると標高を下げるごとにラッセルも軽くなり、松尾平付近からはうっすらトレースも現れる。時折雲が切れ、10日前に登った赤谷尾根が見えた。あそこから来たんだ。

早月小屋の少し下。久々に太陽の光を浴びた。

馬場島に降り、定番の石碑の前で記念撮影。 “試練と憧れ” これまでの何倍も心に響く。

「試練と憧れ」

派出所に寄って下山の報告とお礼を。山岳警備隊の方に逆に労っていただく。最後、伊折までの歩き。もう足が棒のようだが、 ”寿司!寿司!寿司!寿司!” と声をかけ合って歩く。

少し大袈裟に聞こえるかもしれないが、 ”生還” もしくは ”脱出” したという実感が湧いてくる。やり切った。本当に3人でやり切れた。

難しい判断や、葛藤があるたび、そこにはパートナーがいて、これまでとはまた違ったレベルで助け合って、それがあったから成し遂げることができた。

これまでのどの山行よりも大きくて深い感謝を、パートナー、山岳会のメンバー、アドバイスをくれた方、送り出してくれた近親者に感じる。

厳冬期剱経験者の多くが言っていた。

「厳冬期の剱は、一度やると病みつきになるからね」

伊折まで歩きながら、鈴木・増子はもう来年の黒部横断をどのルートで入るか話している。

「おれは、行かないよ〜」
「いや、もう行くでしょ」 
「絶対行くよ」
「いや、いいわ。おれ、ヨーロピアンアルパインスタイルだから」

ま、行くんだけどね。

こんなに面白いこと、やめられるはずがない。

それぞれいろいろな思いを持って望んだ山だったが、こうしてモチベーションの高い仲間と出会えたことに感謝しかない。

鈴木は学生時代から経験を積み重ね、今回の山行も計画段階から大きなリーダーシップを発揮してくれた。彼の存在なければ、この山行は達成どころか計画にも至らなかったと思う。

増子は近年怪我に泣き思うようなトレーニングができないことも多かった中、前述の増本氏の講演で感銘を受けた「アルパインは漆を塗っていく行為に似ていて、少しずつの積み重ねが今日の山行に繋がっている」という言葉を灯火にして、日常の限られた時間で地道なトレーニングを続けて臨んだ山だった。

僕は、11年前に他界した父親を思い出す。根性の塊みたいな男で、「この根性なしが〜」と言われ続けたが、これをやり切ったら「頑張ったな」と言ってもらえるだろうか。そしていま小学生の2人の息子は「父ちゃんカッコいい!」と思ってくれるだろうか。

反省点も多くあるし、僕らよりもっと経験豊富な方はいくらでもいる。それでも、自分たちなりに素晴らしい経験を積むことができた、 ”会心の山行” だったと言い切れる。

30代1人、40代2人の男3人10日の旅。事前準備も含めて3人が本当にチームとして機能した実感がある。その心地よさは、2人への感謝という言葉だけでは表現できない。こそばゆいのだ。こっ恥ずかしいぐらいの感謝と、大袈裟ではなく命を繋ぎあったという思いがある。同じような言葉を何度も繰り返し使ったが、気持ちの大きさが僕のボキャブラリーの限界を超えているのだから許してもらいたい。

それぞれが得意を出し合って、苦手を補い合って、創意工夫を重ねて、笑い合って、励まし合って、

これが青春だ!!

伊折。

車が見えた。帰ってきた。

風呂、寿司、ギリギリ間に合いそうだ。

馬場島から先は濡れ雪。ずぶ濡れで始まってずぶ濡れで終わるのか。

でもこの達成感、充実感。

もうずぶ濡れでもいいや。それすらも心地よい・・・・いや、それはないか。