【山域・山名等】 | 南アルプス 北岳バットレス Dガリー奥壁 |
【日時】 | 2002年7月20日(土)〜7月21日(日) |
【メンバー】 | CL古関正雄、鈴木真理子(記)(4尾根主稜 鎌田・長田) |
【ルート】 | |
20日(土) 横浜(6:00)〜広河原(13:30)〜白根御池小屋(16:00) 21日(日) 白根御池小屋(4:00)〜大樺沢〜D沢右岸〜(5:30)5尾根支稜(6:10)〜Dガリー〜Dガリー奥壁(9:00) 〜終了(12:30)〜北岳山頂〜草すべり〜白根お池小屋(17:00)〜広河原(21:30)〜横浜
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【詳細】 | 07/20(土) |
晴れ。朝6時過ぎに鈴木宅を鎌田号で出発。連休初日のせいか道が混んでいる。中央道で事故があり、大渋滞。結局広河原には13:30くらいの到着となってしまった。予想はしていたが、駐車場も大混雑。広河原からかなり離れたところまで路駐の列。車で駐車場をしばらくうろうろするが、1台も空きがない。仕方なく強引に車の間に横付けしようとしていたら、幸い1台出て行く車がいて、なんとか駐車できた。車の中で軽くお昼を食べ、支度をして出発。 天気が良くて暑い。汗が滝のようだ。樹林帯の中は日陰で比較的涼しい。16:00過ぎにようやく白根お池小屋幕場に到着。ここも混んでいたが、なんとかスペースを見つけてエスパース4人用を内張り(!)をはずして設営。今日は取り付き付近まで偵察に行く予定だったが、思ったより遅くなってしまったので偵察は中止して、明日の早起きに備えて夕食の準備にかかる。古関さんと鎌田さんはアルコールがほどよく入り上機嫌。
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07/21(日) | |
晴れ。2:30起床。のんびり支度をして4:00に出発。大樺沢まではヘッドランプをつけて歩く。バットレスが赤く色づいている。良い天気だ。昨日下山してきた人に聞いたら、D沢は雪渓が残っていて良くないらしいというので少々不安。途中のバットレス沢の辺りで四尾根主稜に向かう鎌田・長田組と別れる。C沢の右岸から樹林帯を詰める予定だったが、大樺沢を少し登りすぎたらしく、結局D沢右岸のガレ場から詰めた。結果的には正解で、D沢は雪渓が詰まっていてC沢側からの横断は結構厳しい状況だった。5尾根の支稜の取り付き辺りの岩と雪渓のすきまでロープを出し、ハーネスをつける。 第5尾根支稜 すでに3人組の1パーティのトップが登り出している。5尾根を抜けてどこへ行くのかとセカンドに聞くとリーダーしかわからないという。私が「4尾根ですか?」と尋ねると、「あー、たしかそうです」という答え。この答えから予想される通り登攀に非常に時間がかかる。1P目(V、20m)は鈴木がトップで行く。2P目(V、40m)で前のパーティが半分くらいで切っていたため(シングルで3人なので延ばせない?)、古関さんがロープを延ばして追い越す。 Dガリー ガレ場とV級程度のクライミング。最初の方と最後はロープを出した。途中、先行パーティが落としたと思われる人間の頭くらいは十分にあると思われる大きさの岩が音を立てて落下してきてヒヤッとする。こちらをめがけてきたが、少し上の岩でバウンドして頭上を越えていく。早くここを越えなきゃという思いがよぎる。今回は先行1パーティだが、確か去年は何パーティかいて、しょっちゅう落石があったことを思い出した。
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Dガリー奥壁 | |
1P目 鈴木 (X+、20m、ハングからクラック) 旧版の『日本の岩場(上)』によるとXであったが、最新版ではX+にグレードアップしている。どこかホールドでも剥げ落ちたのであろうか。せっかくなのでトップをやらせてもらう。ハング越えは久しぶりで体が思うように動かないし、靴のフリクションを信じきれないので1段目はA0で越える。2段目は慣れてきたのでなんとかフリーで越す。3段目は出口の下にお助けがかかっているのだが、結局それでは低すぎて越せないので、手は上のクラックにジャミングをして、左足は細かいスタンスに、右足はスメアで越す。『岳人7月号』には『フィンガークラック』とあったが、私の華奢な手には手首まではいる十分なクラックだ。岩が乾いていてジャミングが決まり、スメアも十分に効く。その上は細いクラックが続き、傾斜が緩いけど支点がないのでせっかく持ってきたエイリアンを1本入れてランニングを取る。ほどなくビレイ点へ。 古関さんがセカンドで上がってくる。3段目はA1で越えてくる。すぐ隣の4尾根主稜では鎌田・長田パーティがマッチ箱の懸垂待ちをしながらこちらを眺めている。どうやらあっちのパーティの方が先に上に抜けそうだ。 2P目 古関 (X、40m(+3m?)、クラックから右上のスラブ) 支点が少ないので古関さんが慎重に登っていく。ロープが延びていっぱいになる。古関さんはそれ以上延ばせないとわかるとハーケンを打って支点を作っている音が聞こえる。すぐに支点を作れるのはさすがだ。セカンドの私が登りはじめる。前半は忠実にクラックに足と手を入れたどる。足が痛くてつらくなった頃に1段越えて後半の細かいスラブ。ここも傾斜は緩いが支点は少ない。 3P目 鈴木 (W、20m+20m、スラブからオフウィズス) 2P目から続くようなスラブ。オフウィズスの手前で切ろうかとも思ったが、チムニーの手前くらいまではロープが足りそうなので延ばすことにする。オフウィズスは慣れないのでちょっとてこずる。『オフウィズス』といっても私の体はすっぽり入る幅だ。内面登攀するにはちょっと狭いくらいだし、内面はつるっとしていてホールドもスタンスも少ない。支点も無い。落ちたらグランドしそうであまり感じよくない。最初はずるずると上がったが、そこからスラブのフェースに出る出口でちょっと行き詰まる。ホールドが両手とも第一関節までで、足が5mmくらいのスタンスがかろうじて1箇所。それで乗越すのに3回くらい躊躇する。と、左足の後方につきでたスタンスを発見。そのまま左足を後ろに伸ばして『キョン』のような体勢で乗り込む。ほっとする。 その上は細かいスラブだが緩傾斜。少し左に回りこんで・・・。と思ったら「鈴木!もうロープがいっぱいだぞ!」の声。うーん、支点のないスラブだし、オフウィズスをクライムダウンするのも・・・。「あと3mくらいありませんかー?」と声をかける。「ちょっと待ってろ」しばらくして「いいぞ!」の声。なんとか延ばせるようにしてくれたみたいだ。なんとかチムニーの入り口のビレイ点に到達。チムニーの中は暗くてじめじめした感じ。まぁこの次はセカンドだし・・・。などと思っているうちに古関さんが上がってくる。 4P目 古関(40m(?)4尾根主稜の最後のPに合流) チムニーは感じが良くないということで、『ボルトラダーのハング』を捜すがよくわからない。とりあえずチムニーのすぐ左の傾斜がきついが短くて一応支点のあるルートに取り付く。が、支点が悪いらしく、クライムダウン。結局 4尾根主稜の最後のPに合流。快適なV級。
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下山 | |
終了点でロープをはずし、ガチャはつけたまま北岳山頂に。山頂でガチャ分けをする。鎌田・長田組はもうテントに戻っただろうか。さぁ、あとは下山して温泉だ!草すべりから白根お池小屋に向かう。 1時間ほど下ったところで、虫に気を取られ浮石を踏みバランスを崩す。転倒しないように踏ん張ったのが良くなかったのか、つま先を残して踵が下へ降りた形に足が回転し、パキッという音がする。立ち上がるが足をつくと跳び上がるほど痛い。足首のあたりも腫れている。このままでは降りられそうに無い。仕方ないので古関さんが取りあえずテントまで下って、荷物を置いてテーピングのテープを持って上がってきてくれるということになる。その後なんとか自力で降りようと試みるが、数十mくだったところでギブアップ。ちょっと広くなっているところでしかたなく座り込んでいると、2人組の登山者が向かいに座って休む。そのうち私が足を故障して動けないことに気づくと、持っていたテーピングのテープを貸してくれる。テーピングを手伝ってもらい、さらに荷物を持って下ってくれるという。重いので、と断ったが、結局いっしょに降りてもらう。カメラの三脚も貸してくれたのでなんとか脚を引きずって降りる。途中で幕場から上がってきた鎌田さん、長田君、古関さんと出会い、2人組の登山者にお礼を言って、3人に荷物を持ってもらい、鎌田さんのストックを借りて下る。痛くて思うように歩けない。痛みを紛らわすために4尾根はどうだったなどと話ながら下る。お池小屋まで3時間くらいかかってやっと降りる。もう17:00を過ぎている。私が怪我さえしなければ今ごろは温泉&ビールだったのに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 さらに広河原までまだ遠い。すぐに必要の無い荷物を小屋に預かってもらうことにしてとりあえず先に長田君に降ろす荷物を持ってもらい、先導してもらって空身で下りだす。結局小屋では預かってもらえず、古関さんと鎌田さんが担いで降りてくる。申し訳ないが、とてもこの状態では荷物は持てないので甘えることにする。というより歩くのもままならない状態だ。時間と共に苦痛が増して来る。思う通りに動かないので怪我した足をなんどか石にぶつけて激痛が走る。それでもなんとか降りなくてはならない。3人が文句も言わずに荷物を持っていっしょに下ってくれているのだから私も根をあげるわけには行かない。右足を切り落としたいくらいだ。以前に読んだ『死のクレバス』のワンシーンが思い浮かぶ。あれは確か足が反対の方向に向いたのにクレバスから這い出して歩いて降りてきたのだった。それに比べればたいした事は無い。でも痛い。それでも、いっしょの3人はもっと腹立たしいに違いない。今ごろはもう帰りの高速にいたはずなのに・・・。情けなさと申し訳なさと痛さで涙が滲んで来る。 何時間経っただろうか。ようやく傾斜も落ち、少し歩きやすくなったところで広河原の小屋の明かりが見える。なんとか気力を振り絞って小屋の前に着く。一休みさせてもらって橋を渡りゲートにたどりつく。もう21時を過ぎている。それでもなんとか3人の助けで降りて来られたことに感謝。誰も文句の一言も言わずに助けてくれて本当に優しさと強さに感謝の気持ちでいっぱいだった。が、正直言って痛みと疲労で荷物を整理する気力が湧かない。結局自分ではほとんど何もせず3人に手伝ってもらって、Tシャツだけ着替えて車に乗り込む。横浜に着いたのはもう翌日になっていた。
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天気に恵まれ、快適なクライミングを楽しむことができましたが、下山中に骨折をして他の3人には多大な迷惑をかけてしまいました。ちょっとした不注意からとんでもないことになってしまい、深く反省するとともに、助けてくれた仲間に深く感謝します。
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