「かたつむり会」連絡板


OB・OGの連絡用に使います。
通常の掲示板の様にWeb上からの掲載は出来ません。
掲載希望文書を山下眞一(Web管理者)までメールで送って下さい。
メールアドレスは(katatumuri@yokohamakatatumuri.com)です。







2008/12/24 山下眞一(Web管理者)

  ここに掲載して欲しい連絡事項があったらメールして下さい。



----------ここから下、掲載投稿----------------


2019/12/7 中川三男

 遠藤孝次さま(巻山さま)
 お礼が遅れました。
若い時の写真が掲載され、お恥ずかしい次第です。何のとき撮られたの全く覚えておりません。
 穂高の写真は、昭和27年(1952)夏で、確かに玉石、遠藤、中川で、撮影者は中尾さんと思います。 幕営していた奥穂の稜線から、ジャンダルムを越えて、天狗のコルに行くコースはかなりきつかった 記憶があります。
 ともかくこの時代と人たちを懐かしく思い出します。元気でお過ごし下さい。

                                           中川三男







2019/12/01 池田輝幸

 本日のOB会の写真を添付します。












2019/11/17 遠藤孝次

 返信ありがとうごさいます。
 写真をスマートフォンで撮影したものなので写りはよくありませんがもう一枚写真送付させていただきます。
 奥穂高 先頭から、中川さん 遠藤 玉石さん 60年前くらいではないかとのことです…。
 父も元気にはしておりますが、高齢で、お仲間も減ってきてしまいました。 お忙しいところお手数かけますが、喜ぶと思いますので、よろしくお願いします。
 遠藤(巻山)











2019/11/17 山下眞一(Web管理者)

 OBの佐久間さんが9月に亡くなられました。享年88歳でした。佐久間さんは一ノ倉沢衝立岩の事故のときのリーダーでした。
 また、佐久間さんの葬儀の時にOBの桐沢さんが今年の夏に亡くなったとの話を聞きました。詳細は不明です。







2019/09/29 遠藤孝次

 会員の遠藤孝次です。
 連絡板2019/7/15掲載の中川三男さんのメール拝見しました。 連絡をとりたいのですが、連絡先のメールアドレス教えていただくことは可能でしょうか?


 はじめまして、遠藤孝次の娘です。父がお世話になっております。
 父はインターネット使わなないので私が仲介することになります。
 添付した写真ひらけたでしょうか?うしろにいるのが父、前の方が中川様とのことです。
 お手数かけますが、よろしくお願いします。









2019/07/15 中川三男

 突然メールする失礼をお許しください。
 私は随分昔に「かたつむり山岳会」に入っていたものですが、最近たまたまこのHPの存在を知りました。 そこで川口好明さんの名前を発見し、懐かしく思い一筆する次第です。

 私は昭和25年8月、当時逗子に住んでいましたが、勧誘ポスターを見て入会しました。 その後勤務地が東京になったこともあり、昭和32年の河田・島田・大川3君の一ノ倉の遭難の ときには捜索に参加しましたが、35年の遺体ザイル狙撃事件のときはもう会から離れていました。
 この間、冬富士、冬八ヶ岳・夏涸沢の合宿や西丹沢、鹿島槍東尾根、春の北岳吊尾根、春の八峰 キレット越え、北岳−塩見縦走など多くの山行で、初心の私は会員の方々から多くの指導を受けま したが、中でも、奥穂から天狗のコルへの縦走や八峰キレット越えでの玉石正近さん、厳冬の赤岳 西壁や春の前穂北尾根での川口好明さんとのことは忘れられません。
 川口さんとは特に親しくしてもらい、私が国分寺に移った後でも、大岡山から自転車で尋ねてきて 呉れたこともありました。私は川口さんより年配でしたが、それだけの配慮を持って接しておられて いました。川口さんはグループの中にあって、常に適切な判断と細かい気配りを忘れず、リーダーと認められ ていました。
 会を離れた後は、まったく接触がありませんでしたが、すでに亡くなられているとのことで誠に残念です。
 添付したテレホンカードの写真は、川口さんと二人だけで春の涸沢へ行ったとき撮った奥穂の写真を バックに使ったものです。また、会報にいろいろな雑文を載せて貰いました。添付の写真は、埋草とし て、"世界で一番美しい山"といわれた「シニオルチュウ」のことを書いたとき使ったものです。

 かたつむり山岳会のことは、忘れられない人生の貴重な1ページとなっています。










2018/10/17 牛頭 満

 ゴズです。
 ご無沙汰しております。
 土合山の家に久しぶりに参加してきました。
 OB皆さんの元気な姿と、移設されたプレートの画像を 添付しました。(HPで披露して戴ければありがたいです。)




 一ノ倉尾根の新道から上がってすぐです。

N 36°51' 0.36"
E138°56' 46.44"










2017/12/11 山下眞一(Web管理者)

 12月2日にOBの飯島さんから留守電が入っており、斎藤則昭さんが亡くなったとの連絡でした。 斎藤さんは3年前から肺ガンを患っていましてその時にかたつむり会も退会しております。 肺ガンが骨に転移していたとの事でした。 葬儀は身内のみで執り行われました。






2016/02/04 山下眞一(Web管理者)

 2月2日の例会時にかたつむり会の和田さんからOBの大内さんが1月8日に亡くなったとの連絡がありました。 大内さんは何年か前から胃ガンを患っていましたが、胃ガンが転移した喉頭ガンとの事でした。 追悼集を出すので、思い出の原稿を書いてくれとの事でした。
 その他OB・OGの方でかけそうな方は和田さんまで送って下さい。メール添付でWeb管理者の山下まで届けて頂いても良いです。







2015/10/10 山下眞一(Web管理者)

北鎌尾根レリーフ捜索
 残るは北鎌尾根の上原さんのレリーフです。これについては昔、和田さんと北鎌尾根に行ったときに目にしていました。 ステンレスで出来たピカピカしたレリーフで、北鎌平にあり、雪に埋もれていない限りすぐに見つかります。 今回、北鎌尾根まで行く時間が取れなかったので、たまたま北鎌尾根に行くベルニナ山岳会の伊藤氏と羽賀氏にデータサンプリングをお願いしました。



 上原氏のレリーフはなかなか目立つので、
北鎌尾根を登った登山者のブログやHP、フ
ェイスブック等によく登場しています。
今回とって頂いた位置データは
N 36°20' 40.67"
E137°38' 54.89"
でした。

 これで横浜蝸牛山岳会の山に逝った先輩方
のレリーフ捜索が終了しました。GPSデータが
あるので、今後は新しく入ってきた新人でも
レリーフを確認できると思います。


Special thanks
 ベルニナ山岳会
 伊藤裕子・羽賀博昭







2015/09/22 山下眞一(Web管理者)

前穂高岳奥明神沢慰霊碑捜索
 9月19日〜23日のシルバーウィーク5連休で新人の鶴田を連れて前穂高岳北尾根と岳沢コブ尾根に行きました。 当初の計画では奥穂高岳南稜も予定していたのですが、 寄る年波でまるまる5日の行動は体によろしくないとの判断で割愛し22日の下山となりました。岳沢はすぐに上高地なので屏風・滝谷隊を待つ間、 上高地帝国ホテル付近にある昭和43年前穂高岳奥明神沢事故の慰霊碑を探しに行く事にした。バスターミナルの案内所で聞いたら、 「ターミナル脇に合同慰霊碑」があることと、帝国ホテル前の慰霊碑はほとんど人が行かないので分かりにくいが大体の場所を教えてもらった。
 ブラブラ歩いて帝国ホテルまで行き、周辺を歩き回るがどうも良く分からない。仕方がないので帝国ホテルに行って聞いてみた。 最初は若いボーイさんが対応してくれたが、合同慰霊碑の事を説明してくれた。そのうち年配の支配人が出てきて、小道を100mほど入った所だと教えてくれた。 山から下りてきたばかりの薄汚いクライマーに対しても丁寧な対応だったのはさすが帝国ホテルである。

 慰霊碑は他の大学や山岳会の物が20
基ほど集まり慰霊碑群となっている。古い
物なので放置されている物が多いが、さす
がにこれだけ数がありアクセスもしやすい
ため献花や線香をあげに来ている形跡が
あった。
 入り口は帝国ホテルに電気を供給してい
る電線に沿った物で、電線の点検路も兼ね
ているようだ。少し電線に沿って歩くと50m
ほどで右に曲がり、程なく慰霊碑群に着く。


帝国ホテル前バス停 バス停から50mほど釜トン側にある入り口 笹が刈り払われた広場にある慰霊碑群


「雪深き山ふところに抱かれて永久にねむりし吾子よ安けく」 山田氏の慰霊碑は御尊父が建立したものです。


 慰霊碑の位置は
  N 36°14' 27.64"
  E137°37' 46.37"
 です。
 この慰霊碑は山田邦彦氏の御尊父が建立した物で、蝸牛山岳会としてはこの奥明神沢の事故でレリーフを設置したりはしていないとの事です。 そのため、山田氏と共に遭難した瀬戸芳夫氏については慰霊碑は無い模様です。我々もこの慰霊碑群を探し歩きましたがありませんでした。






2015/08/17 山下眞一(Web管理者)

硫黄岳前衛峰レリーフ捜索
 レリーフ捜査の第二弾として湯俣から硫黄岳前衛峰のレリーフを確認しに行ってきました。和田さんの計画では湯俣から北鎌尾根経由で前穂奥明神沢とのことでしたが、 そんなに長い休みは取れません。奥明神沢はレリーフが設置してあるわけではないし、北鎌平の上原さんのレリーフはずいぶん昔になるが北鎌尾根を登ったときに確認してあるので、 見た事がない硫黄岳前衛峰のレリーフを確認する事としました。
 今回は井上御大のお宅にうかがい、資料を頂きました。集まった資料は下記の二つです。

@ 地図上の硫黄岳前衛峰の場所 A 湯俣から見た硫黄岳前衛峰の写真


 今回は山行のついでと気楽に行ける場所ではないので、御大直々に概念図を書いてもらい万全の準備で入りました。 「湯俣の出合いから遡行して、水俣沢右岸に大きな支流(中東沢)があり、そこから少し上流に左岸から土砂の押し出しのあるルンゼが入っている。 出合いには幕が張れるくらいの平地があった。急なルンゼを30分も登ると右岸フェースにレリーフがある。さらに奥に行きリッジを越えれば前衛峰フェース」 との事でした。

         

 昔、和田さんと北鎌尾根に行ったときに渡辺氏のレリーフは見ているので、大体の場所は憶えていました。上記地図を参照
して下さい。しかし、当時もだいぶ硫化水素で腐食されていたが、今回はかなり腐食が進んでいました。【写真@】は50周年記
念誌から複写した渡辺氏のレリーフで「八千の高峰を志し 夢半ばにして ここに眠る」という碑文が書かれています。
 今回、見つけてすぐが【写真A】です。表面は黒くなって全く読めない状態でした。タワシでこすってサビを落としたら、何とな
く碑文が読めるようにはなりました。【写真B】

N 36°23' 45.0"
E 137°40' 42.9"


写真@ 写真A 写真B


 そこから吊り橋を渡って水俣川左岸へ。昔はここから登山道が千天出合いまで続いていたのだが、踏み跡をたどって50mも行くと崩れて無くなっていました。 へんにトラバースするのも危険なので、水俣川に降り遡行する事にしました。結構水量があって渡渉が大変で、クワウンナイ川くらいの手応えです。 何度か渡渉を繰り返し、硫黄岳前衛峰の取付に上がるガレルンゼに出ました。水はほとんど流れていません。

崩れた斜面 水俣川遡行 前衛峰取付ルンゼ


 ルンゼをハーハー言いながら登って行きます。かなり大きな岩もあって、安定していない岩場である事を示しています。 ルンゼが少し右に曲がり岩壁基部が見えるようになると、遠くからでも緑色に変色したレリーフがすぐ分かります。 右岸の少し高い所の東向きに取り付けられたレリーフは大変きれいな状態でした。

昔のルンゼ 現在の前衛峰 遠くから分かるレリーフ
 
 
 
 
 
 
 

 レリーフはわりと高い位置に付いていて、
下に打ってある3本のリングボルトにシュリ
ンゲをかけてお酒を振る舞ってきました。 


N 36゜23' 05.71"
E 137゜40' 07.77"


 その日は湯俣に幕営しましたが、夜半から雨となり、
しかも結構な降り方になってしまいました。翌日には川
はカフェオレ色の濁流となり、伊藤新道を詰めて湯俣川
上流でイワナ釣りをする計画はオジャンになりました。
 仕方がないので予定を早めて七倉温泉に下山となりま
した。


 


2015/06/29 山下眞一(Web管理者)

一ノ倉尾根レリーフ捜索[第三次捜索]
 6月26ヤ〜28日に神奈川岳連の沢登り教室番外編で上州武尊山川場谷が使えるかどうかの偵察に行きました。 そのついでに野中さん・服部さんのプレートを確認するために一ノ倉尾根に行ってきました。


一ノ倉尾根遭難碑

 レリーフの位置はヤブが切れて烏帽子岩や衝立岩がよく見え、踏み跡がほとんど水平になった所です。 写真@の枯れ木の根本で、踏み跡から一ノ倉沢側に一段降りた岩についています。 尾根上のヤブは刈り払いをしましたが、ヤブが濃くなると通りがかりでは見つけにくそうです。
 岩に残っていた接着剤から見て、野中さん・服部さんのプレートは一番上に付いていたみたいですね。 外れてからかなりたつらしく、地衣類やコケが付いていました。
 30メートルほど懸垂して降りましたが根曲がり竹の急斜面で金属探知機でもないと見つかりませんね。 場所が場所だけに、雪庇の崩壊に持って行かれたかも知れません。 浅いルンゼになっているので、落ちて到達するのは一ノ倉出合いです。
 懸垂途中に上坂が供えたワンカップが落ちていたのでプレートにかけてカップは回収して来ました。
 途中の踏み跡の途切れたヤブはノコで切り開いて赤テープを付けてあるので、下山時に迷いにくくなりました。






2015/06/21 山下眞一(Web管理者)

 和田さんから下記のようなメールが来ています。後日「かたつむり会」会員の皆様にはお知らせが届くと思います。


平成27年度計画のご案内(案)

 梅雨の季節になりました。会員の皆様方におかれましては、お元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。
さて、平成27年度の当会の行事(予定)の案内をいたします。参加を頂ければ幸いです。 なお、現役のザイル祭は11月14日(土)〜15日(日)に神奈川県立山岳スポーツセンターにおいて開催されます。 後日、案内を致しますので、予定表に入れて置いて下さい。


1.レリーフの確認
 現時点の状況と今後の予定は次の通りです。参加を希望する方は、総務担当和田まで葉書で連絡下さい。詳細が決定しましたら連絡いたします。 また、レリーフの確認状況は、現役のホームページのOB欄に掲載の予定です。確認・活用下さい。

(1)谷川岳一ノ倉尾根レリーフ
@ 総務担当の和田が2回、現役の山下さんが1回探したのですが、6月14日に現役会員から「確認したとの連絡」がありました。 鏡さんと島田さん・大川さんは確認できたそうですが、野中さん・服部さんのレリーフは無かったそうです。
A 7月に現役の山下さんが、野中さん・服部さんのリレーフについて、下部を懸垂下降で確認に行く予定です。また、総務担当和田も現地確認の予定です。
B 秋に土合山の家に泊まってレリーフの墓参を予定しています。参加の呼びかけを致します。

(2)槍ヶ岳北鎌尾根上原さん・硫黄岳前衛峰四海さんと渡辺さんのレリーフ
@ 現在、上原さんと渡辺さんのレリーフは確認しておりますが、四海さん達は未確認です。
A 硫黄岳前衛峰の四海さん達のものは登山道の崩壊が激しく、行ってみなければ分かりません。 昨年の冬合宿の北鎌尾根・硫黄尾根隊の話では、登山道は雪があったので通れたそうですが、夏は沢通しに行くしかないようです。
B 7月〜8月頃に、現役の山下さんと総務担当和田が湯俣経由で北鎌尾根を抜けて確認の予定です。湯俣までご一緒の方がいましたらご連絡下さい。

(3)前穂高岳奥明神沢瀬戸さん達
 現時点の予定として、総務担当和田が北鎌尾根確認後に上高地に抜け、現地確認をすることとしております。 なお、墓標があったが公園整理から合同慰霊碑に移された?かの情報もあります。 詳細不明から、経緯を承知している方の情報をお待ちしております。


2.総会(予定)
 多くの会員の参加が可能な「桜木町叶家」にて、11月後半に開催を予定しております。後日、案内を致します。






2015/06/20 山下眞一(Web管理者)

一ノ倉尾根レリーフ捜索[第二次捜索]
 6月13ヤ〜14日に谷川岳・一ノ倉沢烏帽子沢奥壁中央カンテの予定で入山したが、雨天転進で一ノ倉尾根プレート捜索を行った。 蝸牛山岳会のHPにおける山行記録に各山行の記録コメントが掲載されているが、その内容は以下のような物です。
6/14 06:16
 昨夜から雷雨、今朝も雨が続き中止とします。
 少し一ノ倉尾根を歩いてきます。レリーフが見つかると良いのですが。
【上坂】

6/14 14:00
 上坂.山本は、無事に下山しました。
 一ノ倉尾根の2つのレリーフを発見しております。 周りを少し清掃して、お神酒を供え、線香を立てて合掌してきました。
 次回行かれる場合の装備は、 軍手・小型ノコギリ・鎌・ハーネス・ロープ(20m)・たわし等があるといいと思います。 足元が不安定で、1人分ぐらいしかスペースがありません。
【レリーフ位置/WGS84/度分秒】
N 36°50' 57.80"
E130°56' 22.20"
高度1100m付近

一ノ倉尾根遭難碑

 旧道から一ノ倉尾根を1時間ほど上がったところです。 とりあえず、今回は樹木にテーピングでマーキングしています。
【上坂】

 上坂もGPSを持って(上坂はGPSの老舗であるアメリカのガーミン社日本代理店「いいよネット」の社員なので持っているのは当然!)入っており、そのログは以下のような物でした。



 ログを比較すると山下が到達した地点のほんの数m先の様です。 後日リーダー会で写真を見せてもらったところ山下の写真@に写っている枯れ木の所のようでした。 [第三次捜索]で何とか野中さん・服部さんのプレートを見つけたいと思います。






2015/06/17 山下眞一(Web管理者)

一ノ倉尾根レリーフ捜索[第一次捜索]
 OB会から一ノ倉尾根に設置してある野中さん・服部さんのレリーフをお参りしやすいように設置し直すかどうか等の話がありました。 設置し直すかどうかはさておき、現状としてどこに設置してあり、現在どうなっているのか現役会員は全く分からない。 それではマズイだろうと言うことで、今年度は各方面に設置してある昔のレリーフの確認とGPSによる位置の登録を行う事を目標とする事にしました。
 山下が知っているのは「一ノ倉尾根のかなり高いところで、衝立岩がよく見えるところに設置してあると言うこと。 かなり前の谷川集中の時に井上御大と池崎さんでお参りに行っている。」と言う事だけでした。 そこで和田さんを通して情報を集めました。集まった情報は下記の二つです。

@ レリーフ設置者の池ヶ谷さんから設置場所をマークした概念図 A 松川さんが設置場所から撮影した衝立岩の写真


 6月5日(金)夜行〜7日(日)で谷川岳に新人の増子を連れて入りました。6日は南稜を登る予定で一ノ倉出合いまで行きましたがあいにくの雨。 仕方がないので渋川の近くにある子持山の獅子岩に行きました。 7日に山下は所用があり夕方までに家に帰らなくてはならないので、新人の増子を津田・山本・鈴木に預けて山下が単独で一ノ倉尾根にレリーフの捜索に入りました。 GPSのログは下記の通りです。



 ポイント[583]が上の送電線鉄塔なので、そこまではしっかり刈り払いがされていました。 しかし、そこから上は場所によって踏み跡はあるものの、結構な藪漕ぎになっていました。 鎌を持って行っていたので、少し刈り払いをしながら上がりました。藪の中で尾根にじゃまされ衝立岩は見えません。 1100mの所まで来ると小ピークとなり、衝立岩が正面に望めます。【写真@】
 松川さんの写真と比べると、烏帽子スラブがよく見えない。どうやらもう少し南側から撮影した写真の様です。 この小ピークからは一ノ倉沢出合いに向かって、結構大きな木が生えた支尾根が出ています。そこで支尾根の方に少し移動して見ました。 ポイント[580]からは衝立岩やコップスラブが木にじゃまされないで良く見えます。【写真A】
 しかし、この位置でも松川さんの写真の方がもう少し南側の下です。さらに少し下がってポイント[581]から撮影してみました。【写真B】

写真@ 写真A 写真B


 どうも位置が写真と合わないのでさらに降りてみましたが、そうすると衝立岩が見えなくなってしまします。 結局、出合いまで戻ってきてしまいました。そこで写真を出して現場合わせをしてみると…。 どうやらこの写真は出合いで撮られた写真の様です。

松川写真 出合写真 写真比較


目標となる木を比較した物
(撮影の時代が異なるので
木の本数や茂り方が違う)


      池ヶ谷さんの概念図も衝立前沢と衝立前々沢の間の尾根なので、設置点は今回の到達点よりもっと高いところと思われる。 今回は藪の部分を少し刈り払いしたので、次回はさらに高いところまで行く事として今回の捜索を終了する。

 後日、和田さんと会って話をしたら、和田さんはコップスラブがすぐそこに見える所まで行ったが見つからなかったとのことであった。 また、他の二枚のプレートと一緒に速乾性セメントで岩に貼り付けてあるらしいという情報を新たに得る事が出来た。




2013/03/31 山下眞一(Web管理者)

【訃報】
神ノ川ヒュッテの管理人をしていた池崎友行さんが咽頭癌で3月14日に逝去されました。74才でした。
16日土曜日に通夜が、17日日曜日に告別式が行われました。
かたつむり会、横浜蝸牛山岳会から生花が送られ、現役・OB・OGが多数参列しました。




2013/02/16 山下眞一(Web管理者)

遅ればせながら、昨年10月に行われた「平成23年度総会」の内容を掲載します。(う〜ん。23年度総会を24年にやって、25年に掲載するというのも何だかなぁ…。申し訳ない!)
●議案1 「平成23年度かたつむり会」活動報告
1.会員の状況等について
 平成23年度は折々の機会に勧誘を行いましたが、川口会長が平成23年9月にご逝去されたことから、平成24年3月末現在の会員は53名(平成23年3月末現在54名)となりました。
 なお、故川口前会長の葬儀に際し、本会から献花等を行いました。

2.かたつむり会の活動について
(1)総会の開催
 《平成23年度の総会は、諸般の事情から平成24年10月13日(土)、谷川岳土合山の家において開催しました。》
(2)ザイル祭および故川口前会長を偲ぶ会の参加
 平成23年11月、神奈川県山岳スポーツセンターにおいて開催された現役のザイル祭および故川口前会長を偲ぶ会に23名が参加し、 会員や現役との間で懇親を深めるとともに、故川口前会長との山行やそのエピソードなどを思い語らいながらご冥福を祈ったところです。
(3)CDの作成・送付について
 会員間の親睦を図る一環として、平成22年5月の谷川岳における慰霊碑参拝、一ノ倉出合や総会と懇親会の様子、また、 ザイル祭や故川口前会長を偲ぶ会の様子をCDに整理して会員の方々に送付しました。
(4)その他
 事業計画において、@日帰りの「神奈川県山岳スポーツセンター」でのバーベキュー(昼食)、 A各地に居られる会員への訪問旅行などを提案しましたが、いずれも未実施となり、今後の課題となっています。
 また、懇親会において提起された「歌集の活字を大きくする」ことについては、現在作成中です。

3.ホームページ「かたつむり会」について
 横浜蝸牛山岳会の協力を得て、同山岳会のホームページに「かたつむり会」が開設されています。
 ホームページには本会の会則や発足会の写真等の他、総会資料や会員やOB・OGの動向、また、現役の活動状況が閲覧できます。皆様の閲覧をお待ちしております。
 また、引き続きホームページに会員の皆様の様子や山行など積極的な参加をお願いします。
 なお、本会のホームページへのアクセスは、同山岳会のトップページより直接アクセス出来る様になりました。

●議案2 かたつむり会会計報告
 別添の資料により報告します。  なお、故川口前会長のご遺族から、永年横浜蝸牛山岳会と本会にお世話になったとのことから「会のために」と寸志をいただき、故川口前会長を偲ぶ会とザイル祭の諸経費に充当した事を報告します。
(お願い)
 会計役員安部さんは平成23年10月をもって退会いたしました。今後の対応は、新会計委員と協議の上でご連絡します。それまでの間は、みずほ銀行鶴見支店・普通預金・口座番号2347848・口座名「かたつむり会」への振り込みをお願いします。

●議案3 「平成24年度かたつむり会」活動計画
1.協議事項
(1)諸般の事情から、谷川岳での総会等のほか現時点での活動計画は未定となっています。会員間の親睦を図ることを目的に新しい執行部で対応を検討し、皆様にご提案したいと考えています。
 また、皆様からの御意見・御希望などをお待ちしております。
(2)ザイル祭への参加
 例年、現役のザイル祭に参加して懇親を深めて来ました。本年は11月10日(土)に神奈川県山岳スポーツセンターで開催(11/17-18、神ノ川ヒュッテ開催に変更されました)されますが、当会としては、総会を開催したばかりなので会員の自主参加とします。
(3)会員の募集について
 現在の会員は別添の名簿の通りであります。今年も折々にOB・OGの方々への加入勧誘を行います。

●議案4 「役員の選任について」  川口会長が昨年9月にご逝去されたことに伴い、会則において「会長職は副会長が代行する」の規定に基づき、松川副会長が代行してまいりました。また、安部会計委員が退会して以降、欠員となっております。このため、役員候補者の提案および選任後の役員体制を報告します。
会  長 松川元紀 (現副会長)
副 会 長 井上徹三 (新任)
総務委員 和田善次 (留任)
会計委員 池ヶ谷庄一(新任)






2009/09/23 芝原理之

  初めまして。 1978年から1980年までの短い間でしたが、蝸牛に在籍していた者です。
 1980年以降フランスに住み、日本とはすっかり疎遠となりましたが、歳のせいか最近は昔の事を懐かしく思い出す様になりました。 雪山の天幕の中で「ででん虫虫、蝸牛〜」とか「山の子は〜山の子は〜酒が好きだよ〜」とか皆で歌ってた事、昨日の様に思い出します。
 ところでOB・OG会のHPが開設されたそうですが、アクセスの仕方が分りません。 教えて下されば幸いです。
 毎年、年末年始には日本に帰るので、昔の仲間に再会したい気もします。
 それでは宜しくお願い致します。




2009/09/吉日 山下眞一(Web管理者)

  蝸牛山岳会年間計画にもありますが、10月25日(日)に70周年祝賀会を桜木町の叶屋で行います。内輪での祝賀会になりますが、皆さんご参加下さい。



('13-03/31 更新)